回胴遊商広報誌第122号
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27 今年、(一社)アクロスジャパン様は、設立10周年の節目を迎えられることとなりました。そこで、あらためて徳山健一広報委員会委員長が同団体の小川多鶴代表をお訪ねし、同団体がこれまでどのような取組みを続けて来られたか、また、今後の展望等についてお聞きすることといたしました。なお、今回の取材には、「日電協・回胴遊商業界誌記者クラブ」の幹事社である(株)アミューズメントプレスジャパンの野崎取締役に同行取材をお願いしました。この記者クラブは、平成28年7月、日電協・回胴遊商に共通する課題や、ともに取り組むべき活動等に関する広報活動を積極的に行うこと等を目的に、左記の10社で発足した記者クラブです。││アクロスジャパンでは、予期せぬ妊娠をしたり、かかれる産院が見つからない人に対する医療へのつなぎや、妊娠や子育てに葛藤を抱える人からの相談、子育てに困難を抱える方へ社会資源などを提供する相談などをされています。そもそも小川代表はなぜこうした活動をはじめたのですか?小川 私は1990年代後半に渡米して、サンフランシスコを拠点に不動産業をしていました。法律が専攻の夫は、米国人で、警察に所属しながら高等裁判所に勤めています。 そこの仕事をお手伝いしていたことをきっかけに、児童福祉の活動をしている米国の非営利団体のコーディネーターになりました。そこで勤務しながら日米間を行き来しているうちに、当時の日本の児童福祉があまりにも遅れていることに危機感を抱き、2009年に日本に戻り、帰国してアクロスジャパンを立ち上げたのです。 実は、私たち夫婦には子どもができなかったため、2005年に養子縁組で日本人の子どもを日本から迎えていました。主人には、2年ぐらいで基盤をつくって米国に戻るからといって息子と二人で帰国したのですが、10年経ってしまいました(笑)││当時の日本の児童福祉を取り巻く状況は?小川 先進諸外では、1990年代の後半から養子縁組制度自体が「最も大切な児童支援制度の一つ」とされていました。 でも、私が帰国した当時、養子縁組支援などの団体は自治体から鼻であしらわれることが当たり前でした。 私どもが初めに自治体へ事業申請に行った際、行政職員から、「こういう仕事はボランティアとしてタダでやるもの。やりたかったら人から寄付とかもらってやればいい」といわれました。10年前は「血のつながりのない子どもをもらうなんて」と平気でいう人が「普通」だったのです。││その状況がどう変化してきたのですか?小川 それまで日本では、子どもが家庭養護で育つために尽力、協働するという考えの人はほとんどいなかったのです。それが、2012年に、日本財団が、社会的養護が必要なお子さんが家庭で育つための啓発事業をはじめたころから、当事者たちが少しずつ声を上げ始(一社)アクロスジャパン小川多鶴代表への訪問インタビュー※団体名は略称で記載しております。取材風景(左手前から、徳山 健一委員長、業界誌記者クラブ野崎 太祐氏。右、小川 多鶴代表)(株)アド・サークル、(株)アミューズメントプレスジャパン、(株)近畿出版社、(株)娯楽産業協会、(株)シークエンス、(有)日遊通信、(株)プレイグラフ社、ほくとう通信社、(株)遊技ジャーナル社、(株)遊技通信社日電協・回胴遊商業界誌記者クラブ(10社)日本の養子縁組制度先進諸外国から20年遅れ小川 多鶴 代表(おがわ たづる)■プロフィール1999年渡米。2009年帰国、一般社団法人アクロスジャパン設立、代表理事。現在に至る。

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